ベイちゃん
皆さんはベイちゃんをご存知でしょうか?
おやつカンパニーの商品のベビースターラーメンのキャラクターです。(でした)
ベイちゃんという名前は知らなくても、見たことがない人はいないのではないでしょうか。
ベイちゃん。
実は彼、一種類だけはなくたくさんの種類があるんです。
例えばしお味だと、セーラーベイちゃん、
てんぷら味だと大将ベイちゃんなど味によってその種類が違うんです。
そのどれもが、なんとなくドンピシャじゃないというか、少しズレ感があるというか…納得感が絶妙になくて、日々様々なベイちゃん見つけるたびに撮り溜めてきました。
よく見ると大将ベイちゃんと、鉄人ベイちゃんでキャラクターが混同していたり、同じ見た目なのに名前が違ったりと制作陣にも混乱が見られます。
当時撮り溜めた様々なベイちゃんをどうぞお楽しみください。
ベイちゃんが解任?されたのが2016年、後任のホシオくんも悪くないですが、個人的にはベイちゃんのバリエーションが好きでした。
後任の「ホシオくん」。楽しげ。
四角い穴の空気砲を作ってみた。ー前編
空気砲って見たことありますか?
煙を充填した穴の空いた箱の側面をとんっと叩くと丸く輪っか状になった煙が噴出する映像を見たことがある方も多いと思います。
映像などで見る機会も多いかもしれません。
普段見えない流れを可視化でき、またそれが綺麗な輪っかの形になって進んでいたということになるととても興味深く、興奮しますね。
では、そこで質問です。
その空気砲の丸い穴を長方形にするとどうなるでしょうか?
四角い煙が出るのでしょうか?
丸い形ができるのでしょうか?
それとも上手く形ができないのでしょうか?
それとも、不思議な動きをする煙ができるのでしょうか?
と、いうわけで、ちょっとした実験器具をつくってみました。
作ったと言っても100円均一のダンボールを買って穴を開けただけですが、穴の形を変えることができるように、その部分を取り替え式にしておきました。
用意した穴の形は
丸
長方形
星型
三角
です。
あと僕に余裕があれば
水玉
正方形
楕円
X型
も用意できればと思います。
あるいは、線対称ではないものも用意したいなと思っています。
というわけで、少し予想or簡単な実験をしてもらえればと思うので、
後半へ続く!ということにしておきます。
象は鼻が長いー三上章
「象は鼻が長い」という言葉、
私たちが日頃使っている日本語として、ありふれた表現ですよね。
僕は背が高い。
夏はラムネがうまい。
キリンは首が長い。
ところで、これ、英語にできますか?
Elephant has a long nose.(象は長い鼻がある)
Elephant's nose is long.(象の鼻は長い)
こんな感じの英語になってしまうのではないでしょうか?
しかし、日本語は「象は鼻が長い」なのです。
意味はほぼ同じでも文法的には全然異なっています。
つまり、何を言いたいのかというと、日本語は二重主語ができる、ということです。
数式的に書くと
象=(鼻=長い)。
こんな感じでしょうか?
このような文法構造は英語にはなく、この本では文法学を無批判で英語などから輸入したことへの強烈な指摘があります。
このようにこの本では徹底的に「は」について徹底的に迫ります。
この本に何が書いてあるのかというと、「は」についてだけだと言ってもいいです。
逆に言うと「は」だけでこんな一冊が書けてしまっています。これって面白いですよね。
私たちが日頃何気なく話している日本語の深さや面白さ、独特さを非常に深く認識させられる一冊でした。
古い本ですが、私たちにとっても新鮮さが感じることができる内容でした。
カラマーゾフの兄弟 ー ドストエフスキー(翻訳 原卓也)
ロシア文学の最高傑作、いや、全小説の頂点ともいわれるカラマーゾフの兄弟。上中下にまたがる長編小説。
どんなタイプの話とカテゴライズできない性質の物語であり、家庭小説なのか、恋愛小説なのか、推理小説なのか、、、読み取り方によっても、箇所によっても大きく異なるだろう。しかし、そのどの面においてもキリスト教的思想が血のように通っており、キリスト教についての考え方などは、感覚的に多少理解することができた。
読み終えてまず感じたことは、この小説が一人の頭の中から生み出されたとは思えないということである。それほどまでに緻密であり、多角的に事象が観察され描写されている。特に、最後のドミートリイの裁判での、検事と弁護士の弁論ではまんまとドストエフスキーの掌の上で踊らされている感覚になり、むしろとても愉快だった。 それにしても、この小説は感想が書きにくい…。何に関して書けばいいのかわからない。きっとどう書いてもまとまらない。上中下あるが、その中で無駄な、不必要なページがおよそ1ページも見つからない。これもすごい。また、とても細かいところだが、「一本の葱」が日本でいう芥川龍之介の蜘蛛の糸ととても似た話だったことに驚いた。
この本が今までの小説と呼んだ感覚と大きく異なっている点は、もう一度読み返したいという感覚である。またその時にはまた全く異なった読み取り方ができるであろうし、感じる感覚も全く違うものだろうと思う。その感動が楽しみで、いまから待ち遠しい。
ただ、一つ気になることは、はじめにおいて「アリョーシャという卑劣漢」のような紹介のされ方をしており、また、「この小説は2部で、その2部を書くためにつまらない1部を読んでもらわないと困る」のような文言が出てきたように思うのだが、結果としてアリョーシャはいい人、2部もないという状態、つまりこの小説が未完成であるということは興味深い。それに、この「つまらない第1部」が"これ"なのであれば、第2部をよんだら一体どうなってしまうのだろう?どんな劇的な2部だったのだろう?二部に大きな影響を与えるであろう人物も幾人か居る。アリョーシャとリーズはどうなるの?コーリャって今後重要な役割を果たすんじゃないの?うぅ、気になる…。
また、今回読んだ新潮文庫から出ている原卓也さんの翻訳についても、とても読みやすく、かつ多すぎない程度の的確な注釈が入っており非常に理解に役に立った。
ともかく、この小説を飲み込みはしたけれど、消化するには結構な時間がかかりそうではある。全くもってお腹いっぱいである。ごちそうさまでした。
スピーカーをスピーカーユニットから作ってみた。
スピーカーの中身ってどうなってるんでしょう?
最近では100円均一でも売っていますが、少し不思議じゃないですか?
だって、ただの電流が振動となって音に変わり、僕の耳に伝わるんですよ。
電流が音に変わるその瞬間をみてみたいな、と思ったので作ってみました。
とはいえ、スピーカーを作るのはじつはとっても簡単なんです。
その気になれば5分から10分で音を出すまではできます。
本当に、簡単なんです。
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金閣寺ー三島由紀夫
よくある読書録を、僕もつけてみようと思う。
読んだ本なんて他の人へアピールすることではないと思うが、本への印象や読んだ直後の瑞々しい感覚などは、自分にとって保存していくことに価値があることだと思ったので、つけてみる。つまり、読んだ人をターゲットにして書くため、ネタバレなどは全く気にしないことにする。
意外と2日か3日と、すんなり読めたことが驚きだった。
若い吃音障害のある学僧が金閣寺の美にとらわれ、その美が自身の生に覆いかぶってくるという妄念から逃れるために金閣に放火してしまう、という話である。
僕は再建されてからの金閣寺しか当然知らないわけだが、金閣寺へは何度も足を運んだことがある。それにしても、三島由紀夫の金閣寺の描画は凄まじい執念のようなものを感じさせるほどのものであった。
人間が、あのような悲惨な事件を起こしてしまうまでの精神的描写も激しく、かつ飛躍なく描かれているため、あろうことか共感を伴って読めてしまった。これは、自身のうちにある黒い部分に気付かされたような、そんな独特な体験であった。
人間、自分にだけ明確すぎるほど見える自分のコンプレックスは、きっと誰にでもあるんだろうと思う。そして、そのことが気づかぬうちに自らの精神に影響を与えていることも多くあるだろう。金閣寺に出てくる若い3人、私、鶴川、溝口は全てコンプレックスを持ち、しかしそれぞれ、とても異なった対処の仕方をしている。
最後、主人公は死のうとして、扉が開かないために死ねず(それもなんというか、完璧主義的すぎるとも思えるが、)タバコを吸い、生きようと思った。ここには非常に残酷な事があり、彼が意を決して生きることに決めても、結果として彼が生きていくのは牢屋の中になってしまう。これは非常に残酷である。
兎にも角にもなかなか余韻の残る話だった。これが全く共感できない幸せな人よりも、この話に共感できてしまう不幸な人と僕は一緒にいたいとぼんやり感じる。